2月22日木曜日: 御所の梅
御所の近くに用事があったので自転車ででかけました。
御所と昨日記した二番町の歴史話を交えて
今日は、引き続きミニ話を書きたいと思います。
豊臣秀吉の時代が終わり、聚楽第(じゅらくだい)が壊され
組屋敷(一番町から七番町あたり)も一時は
農耕地になっていたようなのですが、
宝永の大火(1708年)で皇居炎上の大事件がおこりました。
徳川幕府は直ちに復興に着手し、工事場の必要から
御所南西あたりの住民に立ち退き命令をだし、移転先として
元組屋敷跡(一番町から七番町あたり)を分賜しました。
そして156年後(1864年)幕末に起った
御所の蛤御門の変では、御所南西あたり
(長州藩対会津藩、薩摩藩、幕府連合軍の戦で長州藩が敗北)
とくにその一帯は大火に包まれたといいます。
そんな歴史があった中を、今は平和に自転車を止めて
苑内に咲き出した梅林のきれいな梅を眺めてます。
平和で幸せな事をついつい忘れがちになってしまいます。
平和な時代をありがとう。
感謝の気持ちを持って蛤御門をくぐり抜け
チャリチャリと帰りました。
(西村)
御所と昨日記した二番町の歴史話を交えて
今日は、引き続きミニ話を書きたいと思います。
豊臣秀吉の時代が終わり、聚楽第(じゅらくだい)が壊され
組屋敷(一番町から七番町あたり)も一時は
農耕地になっていたようなのですが、
宝永の大火(1708年)で皇居炎上の大事件がおこりました。
徳川幕府は直ちに復興に着手し、工事場の必要から
御所南西あたりの住民に立ち退き命令をだし、移転先として
元組屋敷跡(一番町から七番町あたり)を分賜しました。
そして156年後(1864年)幕末に起った
御所の蛤御門の変では、御所南西あたり
(長州藩対会津藩、薩摩藩、幕府連合軍の戦で長州藩が敗北)
とくにその一帯は大火に包まれたといいます。
そんな歴史があった中を、今は平和に自転車を止めて
苑内に咲き出した梅林のきれいな梅を眺めてます。
平和で幸せな事をついつい忘れがちになってしまいます。
平和な時代をありがとう。
感謝の気持ちを持って蛤御門をくぐり抜け
チャリチャリと帰りました。
(西村)