ジャポリズムの隣りの家に古い住所の書いた看板があります。

住所の看板

京都には沢山の通りがあり、名前があり、
そしてその通りを覚える童歌なんかもあります。

この相合図子通りですが下の森通りとも呼ばれます。
名の通り北野天満宮の門前辺りを下の森といい
南へ下がる通りです。

そして二番町という町名についてですが、前回、平安時代の
二番町辺りは大内裏の中の大蔵省の位置であった事を記しました。

その数百年後の安土桃山時代のお話になります。
日本美術でいえば狩野永徳、長谷川等伯の時代ですね。

天正15年(1587)豊臣秀吉が聚楽第を造営し
大名でない武士達を集住させ、この辺りを中心に7ブロックに区分。
そして一番町から七番町まで番号を付し組屋敷が形成されました。
この二番町が町名の由来だそうです。

ちなみに水上勉の五番町夕霧楼は
1950年頃のこの五番町がモデルにされています。
もっとちなみに八つ橋の品名でおなじみの夕子は
この話にでてくるヒロイン夕子から取られたとか・・・ 
いろいろ深く探求するとおもしろいですね。
                          (西村)